日本高齢者虐待防止センター電話相談

2012年4月17日火曜日

ヨーロッパの高齢者  日本高齢者虐待防止センター ニューズレター No23

JCPEA(日本高齢者虐待防止センター)ニューズレター 2012年5月号

ヨーロッパの高齢者
1日あたり1万人が身体的虐待を受けている

日本高齢者虐待防止センター 理事長 田中荘司



2011年の世界の高齢者虐待の調査研究分野で、最もショッキングな報告書がWHOのヨーロッパ支部から公表されたので、ここにその概要を紹介しましょう。

2011年6月16日、ブダペスト、コペンハーゲン、ローマで同時発表された報告書は、正式には「ヨーロッパレポート: 高齢者虐待の防止に向けて」(New WHO/European report on preventing elder maltreatment) といい、この表題は、メディア向けに出された情報紙の見出しです。

ヨーロッパ支部は、53カ国、人口8,8億人からから構成されており、60歳以上の高齢者を対象に日本と同様、5種類の虐待について推計調査をしています。

毎年少なくともヨーロッパ支部内で400万人の高齢者が平手打ちされたり、こぶしで殴られたり、けられたりやけどをさせられたり、ナイフで傷つけられたり、部屋にロックされたりして苦しんでいると推計されています。

また調査は、年間2500人の高齢者が家族の手によって死亡させられていることを明らかにしています。今回の報告書は、ブダペストで第3回ヨーロッパ安全推進会議で報告された調査結果で、調査の規模、虐待問題の重要性、また虐待防止に役立つ実践への展望まで記述しています。

ヨーロッパ支部長、ズーズサンナ・ジャカブ氏(Zsuzsanna Jakab)は、「この報告書は非常にショッキングな内容であり、高齢者が病弱であるときは、虐待が高齢者の精神面や身体面の健康や幸せに悪影響を与える」と述べています。

ヨーロッパの人口は、急速に高齢化しており、各国政府は増大するヘルス問題、社会問題を解消するよう迅速な行動を起こす必要があり、この点今回の報告は大いに手助けに貢献できるとしています。

平均寿命と出生率の組み合わせから2050年にはヨーロッパの人口の3分の1は60歳以上になることが予測されることから、年金の支払いや社会的ケアの提供により、より多くの財源を必要とすることになるでしょう。また多くの高齢者が若年の介護者に依存することになりますから、国の経済面、社会面、家族構成面の変化、特に長期にいたる財政的硬直の緊張をもたらし、そしてこのような社会変動が結局は、虐待を受ける高齢者の増加につながることになるでしょう。

報告では、毎年400万人の身体的虐待の発生の推定とは別に、

・侮辱したり、脅したりする精神的虐待の被害が2900万人

・金を盗んだり詐欺行為をする経済的虐待の被害が600万人

・性的ハラスメント、性的いたずら、レイプ等の性的虐待の被害が100万人

認知症を患っている、あるいは身体障害をもつ高齢者は、虐待を受け易い状況にあり、又虐待の犠牲者は虐待の加害者と同じ世帯に住み続けるのが一般的です。さらに虐待は、所得水準があまり高くない国々や社会の低所得階層でよく発生している傾向が見られます。

ヨーロッパ地域の高齢者虐待は、依然として社会的タブーの問題となっており、その多くが無視されたり表面化されないでいる現状で、今後社会的、政治的関与が行われることが期待されています。また各国の政府機関部門では福祉を含む保健行政担当部局は、虐待を受けた高齢者への支援を提供できる重要な役割を果たすことができる組織であり、一層の行政努力が求められています。

なお今回の報告書は、高齢者虐待防止の第一線で働いている関係者や、保健福祉、法務、警察等の各種専門家によってまとめられており今後対応すべき諸提案が以下のようにまとめられています。

提案されている行動計画として多分野共同による国家政策、高齢者虐待防止計画等、計画の決定と実行データの収集方法の改善、サーベイランスと研究虐待防止実践と管理戦略虐待被害者のサービス強化と関係職員の研修強化被虐待高齢者の保護に重点を置いた啓発活動ところで、今回の報告書のなかで、質問調査がありますので、紹介しておきます。

1  高齢者虐待は国内で問題か


(1) 非常に大きな問題

セルビア  オーストリア  マケドニア  ポルトガル  スロバキア イスラエル


(2) 大きな問題

 オランダ  モンテネグロ  イギリス  チェコ  フィンランド  ベルギー  ロシアブルガリア  ルーマニア  ラトビア  スイス ノルウェー  スペイン  マルタ タジキスタン  ギリシャ  フィンランド等

(3) 少々の問題

ドイツ  エストニア  アイルランド  アゼルバイジャン  サンマリノ デンマーク  イタリア

(4) まったく問題ではない

 ウズベキスタン  アルメニア


2  高齢者虐待について国の政策はあるか

(1) ある 

セルビア  イスラエル  オランダ  モンテネグロ  スロベニア  イギリス ドイツ  アイルランド等


(2) 部分的にある

オーストリア  ポルトガル  ベルギー  ロシア  スイス  サンマリノ アルメニア


3  高齢者虐待をも取り扱う研究機関又は大学があるか

存在する国

オーストリア  イスラエル  ポーランド  スロベキア  オランダ  モンテネグロ スロベニア  チェコ  フィンランド  アイスランド  ベルギー  ブルガリア クロアチア  ノルウェー  マルタ  スイス  ドイツ  エストニア  アイルランド


4  高齢者虐待についてより多くの情報を得ることに関心があるか

デンマークを除く各国が関心をもっている


5  65歳以上人口のうち、フォーマルケアサービス(在宅ケア+施設ケア)を受けている人の割合 

アイスランド  9、3% スロベニア  4、0% ポルトガル  3、4% デンマーク4,8%  EU平均3,3% イタリア2,0 オランダ5,3% チェコ 3,5% ハンガリー  2,2% イスラエル4,6% ドイツ 3,8% スロバキア  1,7% スイス 6,6% ルクセンブルグ 4,3%ラトビア1,5 オーストリア  3,3% アイルランド  1,6% エストニア  1,6% イギリス3,3% スペイン 4,1% ポーランド  0,7 スウェーデン  6,0% フランス3,1% アルメニア  0,3%

(日本は、平成21年度介護保険事業報告による介護保険利用者は、393万人で13.6%)

注)本報告による反響が多い場合には、さらに詳しく報告いたします。

2012年3月4日日曜日

ライフワーク 日本高齢者虐待防止センター ニューズレター No22

JCPEA(日本高齢者虐待防止センター)ニューズレター 2012年3月号

ライフワーク

日本高齢者虐待防止センター 理事・事務局長 梶川 義人


私は、大学院で児童福祉を専攻していましたが、ひょんなことから老人ホームに就職することになりました。そして、介護職を経てソーシャルワーカーとなり、家族関係の調整などをするようになりました。

何年かたつと、自験例はかなり増え成功事例も経験できるようになりましたので、「少しは科学的な知見が得られるだろう」と考えて、当時、在宅サービスを利用していた高齢者と介護者の関係の分類を試みました。

参考にしたのは、子育てにおける親子関係の類型で、過干渉タイプ、放任タイプ、葛藤タイプなどに分けました。数百件あった事例のほとんどは、あまり悩まずに分類できたのですが、なかには「飛び抜けて酷い扱いだな」と思った事例がありました。そこで、児童虐待にならって、虐待タイプとして分類することにしました。多分、2〜3%の事例があてはまったと思います。これが、私の高齢者虐待を意識した最初のエピソードです。多分、1985年だったと記憶しています。

その後しばらくは、とりたてて高齢者虐待に関心を持つことなく過ごしていたある日、マスコミの報道により、旧友が介護殺人事件を引き起こしたことを知りました。子ども時代に親しくしていた友人であっただけに、ショックはとても大きいものでした。ほかの友人たちから詳しく事情を聞けたこともあり、「こうした痛ましいことを何とか防げる手立てはないのだろうか」と思い悩みました。これが、私が高齢者虐待に取り組むことになったきっかけです。私は、数日考え込んでから、高齢者処遇研究会のメンバーとなりました。2000年のことです。

それからまる11年、実にさまざまな出来事が起こりました。制度的には措置から介護保険制度に大転換しましたし、高齢者虐待に限ってみても、全国調査が行われたり、専門学会ができたり、高齢者虐待防止法ができたり。わがセンターも、法人化しましたし、いくつもの事業を行なってきました。

いわば大きな変化のうねりのなかを泳いできたのですが、私の最大の関心は、いつも対応困難事例の検討にありました。「こうした痛ましいことを…」の答えをみつけたいと願い続けてきたからです。そして、いつの頃からか、私は、旧友のような事件に対して、ある程度の答えを出せるようになりました。ですから、当初の課題を一応は達成したことになります。

しかし、対応困難事例の検討を通して、いろいろな人生の期し方行く先を思い合わせる経験を積むうちに、他にも沢山の難しい課題があることを思い知るようにもなりました。ひとつ課題を達成したら、さらに難しい課題がでてきて、ようやくその課題を達成したと思った途端に、また、もっと難しい課題がでてくる、といった具合です。おそらく、どこまでいってこの繰り返しで、きりはないのでしょうが、私は、いつしか、でてきた課題のすべてに、答えをみつけたいと思うようになりました。挑戦する心に火がついた、とでも言うのでしょうか。

こうして、高齢者虐待の防止への取り組みは、今や私のライフワークといっても過言ではなくなりました。


2012年1月5日木曜日

年頭にあたって―専門家としての覚悟と覚醒を期待する 日本高齢者虐待防止センター ニューズレター No21

JCPEA(日本高齢者虐待防止センター)ニューズレター 2012年1月号

年頭にあたって―専門家としての覚悟と覚醒を期待する

日本高齢者虐待防止センター理事 萩原 清子



昨年の我が国は未曽有の出来事がつぎつぎと起こったが、何といっても3月11日に発生した東日本大震災と原子力発電事故による大惨事は、学会・学者や科学に対するあり方に根本的な反省を促した画期的な出来事といえる。

「できるはずだと思っていたのに、なぜ東日本大震災のような巨大地震を予測できなかったのか」という問題をめぐって、「東北沖ではマグニチュード9以上は起こらないという思い込みがあった」と、多くの地震学者や学会から反省の声がしきりであった。「思いこみの原因」に、学会は学問的な相互批判が希薄で、「マグニチュード9以上だって起こりうる」という他の研究者の指摘に真摯に耳を貸さなかった日本地震学会の体質に問題があったとの指摘がある(朝日新聞 20011・12・11)。他方、原子力発電事故に関しては、原子力は安全だという「安全神話」が完全に崩れ、我が国の原子力政策は廃炉、停止、再開、新設をめぐって混迷が続いている。

さて、高齢者虐待の現状に目を向けると、平成22年度の厚生労働省調査報告による養護者による高齢者虐待判断件数は16,668件と過去最多となり、相談・通報件数も最多の25,315件で「最悪」と表現された。虐待で死亡した高齢者は無理心中を含め21人で、内訳は「養護者による被養護者の殺人」が10件10人、「養護者の介護放棄(ネグレクト)による被養護者の致死」6件6人、「心中」4件4人、「養護者の虐待(介護等放棄を除く)による被養護者の致死」1件1人であった。被害高齢者21人のうち、介護保険利用者は15人(71.4%)、利用していない高齢者は6人(28.6%)であった。

問題は、念願だった高齢者虐待防止法が施行されて5年、「防止法」に基づいて対応状況が厚労省によって毎年調査結果が5回報告され、介護保険は実施されてすでに11年を過ぎているにも関わらず、なぜ、毎年、高齢者虐待は防止されずに増え続けているのかである。

しかも、犯罪事件と見做される虐待による死亡高齢者は21人にも上り、そのうち7割以上の高齢者は介護保険を利用し、何らかの専門家や支援の網にかかっているのである。さらに、市町村で受け付けた養介護施設従事者等による虐待の相談・通報件数を見ても、22年度は前年度より98件増加して506件となっているのである。しかし、市町村が虐待の事実確認を行った事例のうち、事実が認められた事例は全体の18.1%、虐待の事実が認められなかった事例が38.7%、虐待かどうか「判断に至らなかった」事例が27.2%もあった。「防止法」第21条には施設従事者等が施設従事者等による虐待を発見した場合には、速やかに市町村に通報しなければならない、という義務規定を設けているのである。この数字を多いとみるか少ないとみるかは議論の分かれるところであるが。

このような我が国の高齢者虐待の現状をみると、「防止法」という法律ができ、虐待とは何かが定義されても、虐待かどうか不明、虐待ではなかった、といった相談・通報事例をどう捉えたらよいか。また、養護者支援が規定され、施設従事者も内部告発・通報が義務付けられ、専門家の役割や相談窓口が明確になり、地域の関連機関の連携が重要視されたとしても「定義」や「通報制度」、市町村の責務、専門家の役割等が十分に機能していないのではないか。このことが過去5回の厚労省調査結果から導き出された結論である。つまり、法律や制度、支援体制が整ったといっても、高齢者虐待の「防止」や「予防」にどれだけ実効性があっただろうか。各制度や支援体制が形だけに終わっているのではないだろうか。

私たちが経験した昨年の1年は、従来、大丈夫だと思ってきたことが覆された年である。その意味で、今こそ、学識経験者として、あるいは福祉の専門家としてこの教訓を生かさなければならない。各人がそれぞれの立場で専門家としての覚悟と覚醒が期待されている。

では、学識経験者として、福祉の専門家としての覚悟とは何か。それは、虐待を防止すること、すなわち「防止法」第一条の目的にある「高齢者の尊厳の保持」と「養護者の負担の軽減」を徹底的に図る覚悟である。そのためには、高齢者、養護者、関係職員が「個人の尊厳」をもった人間として生きていけるような社会や世の中を確保することに自覚的に、積極的に貢献していくことである。その流れに沿って、何があっても、高齢者と養護者の個人としての尊厳をまず守るという覚悟である。

もう一つ、昨年の出来事から、いわゆる「公務員ランナー」の生き方、走り方から学んだ点がある。今年はオリンピックの年として昨年来いろいろな話題があった中で、オリンピックイヤーの予選会で従来のやり方とは違う練習方法によって好タイムを出して注目された市民ランナー川内君の例である。川内君は埼玉県庁の職員として、実業団に所属しているわけではないため従来当たり前と思ってきた実業団選手の豊富な練習時間や練習環境とは違って、練習時間はフルタイムの仕事以外の制約された時間でモチベーションを高める練習方法をとっている。また治療やケアについてもトレーナーにつき、専門のメディカルな医師がついているわけではなく、小さなけがは温泉で何とかしてきたという。さらに、コーチがいるわけではなく、彼は一人で練習メニューを作って練習を重ねている。このような練習の方法やランナーとしてのやり方は、陸上界の常識とはかなり違うことをやっていると彼は思っている。

しかし、陸上界の常識に従うことで本当に結果が出るのかということを考えると、「やらされている練習」ではなくて、「好きでやっていること」と考え競技を続けていく方が、速くなるし、長続きするのではないかと彼は考え、練習の一環として全国各地のいろいろなレースで走りたいと考えている。このように、指導者にもつかず、出場レースも力を伸ばす場と考え昨年12月の福岡国際マラソンの2週間後にも42.195キロを走った彼は、「常識外れと言われたけど、周りが常識で限界を決めているだけ」と言っている。恵まれた環境で練習している実業団選手を退け、ロンドン五輪出場への期待をつなげた川内君の走りは一般ランナーに希望を与えた、という新聞投書があった。

川内君の練習方法や川内君のあり方は、単に現状の批判や否定ではなく、もっとよいものがあるのではないかという前向きなチャレンジのように思われる。昨年2月の東京マラソンでは日本人トップでゴールしその後のレースでも1,2位の結果を残した。彼から私たちが学ばなければならないことは、自分がどうあるべきか、どうありたいかを具体的な目標として定め、その目標を実現するための方法を仮説として立て、実践の中で検証をしていく。この繰り返しが人としての思想や実践を進化させ、社会を進歩させていくのではないか。

指示待ちになって手遅れになり、常識にがんじがらめになって言い訳や責任転嫁を考えるのではなく、常識との向き合い方を見直すことから始める事を川内君自身のあり方から覚醒させられた。

東日本大震災や原発事故を考えると、「もしも」を「想像力」で1000も2000もシミュレーションし、たくさんの「もしも」を思いつくことができたら私たちはもっと安全で豊かで幸せな社会を構築できるであろう。同様に、高齢者虐待の防止も学識経験者、福祉専門家の豊かであふれる想像力の覚醒が期待される。

2012.1.5

2011年12月27日火曜日

今年を振り返って 日本高齢者虐待防止センター ニューズレター No20

JCPEA(日本高齢者虐待防止センター)ニューズレター 2011年12月号

今年を振り返って

日本高齢者虐待防止センタースタッフ 山浦成子


今年は、東日本大震災、それに伴う福島原発事故と歴史的な1年になりました。

家族や地域の「絆」が見直された年でもありました。

その一方、センターの電話には、家族の軋轢により苦しむ人たちの相談が寄せられていて、家族・身内というものの難しさを感じさせられます。

12月6日には、厚生労働省より平成10年度の虐待件数が16,764件だったと発表されました。家族や親族による虐待が16,668件で6.7%増えたと言っています。

 これは、虐待されていることが明確で、市区町村が関わったものだけであって、氷山の一角であろうと思われます。

当センターに寄せられる相談は、解決がとても難しいものが多くなっています。

1例としては、経済が停滞し、高齢者の息子世代が働く場所を探すのも難しい昨今になり、必ず入ってくるお金と言えば両親の年金。それを目当てに実家に戻りお金をせびるケースが増えています。

お金を出さないと殴るけるなどの暴力が始まり、両親は困り果てるのですが、肉親の情もあり、警察に訴えることまではできずにいるのが現状です。

両親が自立ですとより問題は深刻です。自分の意思があり逃げ出せるのに逃げ出さない、外部からの介入がしにくいからです。

福祉関係者を入れることもできず、親族が口を出すと余計に問題がこじれ、困り果てた相談が寄せられます。

今迄の親子関係が影響していることも多く、親もそれがわかっているからこそ強く出られないということが続くのです。

世間体や見栄などで外部に相談せずに、親子カプセルのように内輪にこもっていては、解決のめどは立ちません。

 隣近所にオープンにする、暴力から逃げだす、地域包括支援センターに相談する、場合によっては警察の介入を依頼する、など助言しますが、実行するには一大決心が必要です。

実際に、センターの助言を聞いて、別居の家族が動き、金をせびり暴力をふるう息子から逃れるために両親を連れだし、他の地域で暮らしを落ち着かせた例があります。

決心するまでには、どれほどの葛藤があったかしれません。毎日のようにかかってくる電話では、息子への愛情と暴力への恐怖で混乱し苦しむ姿が見えました。

相談員は、混乱を受け止め当事者たちが決心するまで辛抱強く付き合いました。自分で自分の生き方を決めるための時間が必要だからです。

 電話相談は、電話することによって即解決することはありませんが、自分の気持ちを整理し次の一歩を踏み出すためのツールとして利用していただきたいと思います。

今年も暮れようとしています。私たちは今日も悩める方々に少しでも寄り添えるように、電話の前でお待ちしています。

1年間、ありがとうございました。

2011年11月17日木曜日

施設虐待を考える 日本高齢者虐待防止センター ニューズレター No19

JCPEA(日本高齢者虐待防止センター)ニューズレター 2011年11月号

施設虐待を考える

副田あけみ(関東学院大学)

先日、ある新聞社の記者さんから、電話取材を受けました。施設虐待は、なぜ夜間に起きるのか、という質問でした。実際には、福祉施設ではなく病院で起きた事件で、女性職員が高齢者を叩いた場面を監視カメラが写していた、というものでした。

その事件が起きた病院は、日ごろから施設虐待にかんする研修を行っており、病院長は、「これ以上(防止策を)やるとしたら、監視カメラを増やすしかない」というようなことを言っていたそうです。これを聞いて「ええ??」と言ってしまいました。

施設職員による虐待の場合、支援対象である認知症の高齢者が何か癪に障ることを言ったからとか、面倒をかけたから、カットなって、という衝動的な暴力行為という例はさほど多くないのではないかと思います。

家族とは異なり、職員は、日ごろ、高齢者と情緒的に親密な関係にあるわけではないので、つい感情が爆発してしまうということはあまりない。エイジズム(高齢者差別や侮蔑)の態度・行動を採る職員は論外ですが、それを除けば、職場で孤立していたり、孤独な職員が、ストレス発散をもっとも弱い高齢者に向けて行ってしまった、ということが多いのではないでしょうか。

日ごろから同僚や上司と円滑なコミュニケーションをとることができない、自分のケアの仕方や高齢者への接し方がこれでいいと思っているわけではないけれども、他人から注意されると素直に聞くことができない。そうなると、周囲の人々も「大丈夫かなあ」と不安に思っていても、声掛けや注意を控えるようになってしまう。そうなると、当人はますます孤立し、ストレスをため込んでしまいかねない。そして、つい、、、

では、適切とは思えない態度やケアの方法について、同僚や上司はどうやって注意すればよいのでしょう?

「あの人のケアはちょっとねえ」と言ってしまいそうな人にも、「あら、この点はまあまあじゃない?」「悪くないね」と思える点はあるはず。日ごろから、そうした点を意識して探すようにし、見つけたときには、その場で、あるいは、後から「よく気づいたね」とか、「そのやり方はどうやってみつけたの?」「私もやってみようかな」といった直接的、間接的に肯定的な評価を行う。こうした声掛けは、コミュニケーションを促すはずです。

こうした職員同士、比較的円滑なコミュニケーションが行われている職場ならば、すべてとはいいませんが、かなりの不適切な介護や虐待を未然に防げるのではないでしょうか?

2011年10月9日日曜日

日本高齢者虐待防止センター  ニューズレター No18

JCPEA(日本高齢者虐待防止センター)ニューズレター 2011年10月号

パリの高齢者から学んだこと

日本高齢者虐待防止センタースタッフ 松丸 真知子

約20年ほど前にパリに6年住んでいた時のことですが、今ではパリで日本人と見るとこちらがフランス語で話しても英語で答えてくる程、殆どの場所で英語が通じますが、当時は本当にフランス語しか通じませんでした。

余談ですが、よく、フランス人は英語を知っていても自国の言葉にプライドを持っているので知らない顔をするのだ。と言われていましたが、私の経験からは本当に簡単な英語さえ分からない人が殆どでした。

私は夫の仕事の関係で住んでいたので、いわゆる高級住宅地と言われるパリの16区に住まわせてもらっていました。

私の印象はパリの人々、特に16区に住まうフランス人は、意地悪で嫌な人が殆どでした。スノッブでエレベーターで顔を合わせても知らん顔。ちょっとそこまで郵便を出しに行くにも男性はきちんとジャケットを着て帽子をかぶって行くのが普通でした。

私が朝、すっぴん、ジーンズで子供を学校へ送って、エレベーターを待っていると、どこかの家のお手伝いさんに「あなたは何階で働いているの?」とよく聞かれるくらい、常にきちんとした身なりをすることが必要でした。

パリのマルシェというと、野菜や果物を美しく積み上げ、肉屋も魚屋も商品をきれいにディスプレーしていることで有名です。パリに住んだ当初は言葉が分からなかったので、マルシェでの買い物は苦労しました。ある日ピーマンを買いに行った時、ピーマンのフランス語が分からないのでそこにあったピーマンを「これちょうだい」といった風につかんだら「さわるな!!」とえらく怒られました。

そして別のピーマンを袋に入れてくれたのでお金を払って家に帰ってみると、腐ったのを入れられていました。トマトを1キロ買えば必ず2,3個は使えないのが入っていることは普通で、しばしば「フランス人とはなんて意地悪なのか。」と暗い気持ちになりました。

このまま何年もパリに住んでそんなことにもなじんで、自分もそうなってしまったら、日本に帰った時は鼻つまみになっているとさえ思いました。

長くパリに住んでいる日本人の方に聞くと、そういうことは当たり前で、ぼやぼやしていないでしっかり見て「それはだめ。他のにして」と言わない方が悪いと言われました。

島国の日本と違って、ヨーロッパは地続きで、侵略の歴史だから自分のことは自分で守らなければならない文化が浸透しているのだとも言われました。全くその通りで、きちんと主張しなければ、どうでもよいように思われて、いいようにされてしまうということはあちこちで体験し、相手から嫌な顔をされることもありません。

パリの朝は早く、早朝から人々は働き始めます。ある朝、子供を学校へ送って行く途中、杖をついて歩くのもやっと、といった風情のやせて小さな老婦人が八百屋の前を通りかかるのを見かけました。すると、突然老婦人が杖を振り上げて怒鳴りだしたました。

八百屋の台車に乗せた果物の箱が通りすがりに老婦人をかすったようでした。老婦人は歩道に仁王立ちとなり、道行く人々が振り返るほどの大声で怒鳴り、台車に高く積み上げている果物の木箱を力いっぱい押し倒し、辺りはリンゴが散乱しました。

その勢いに、八百屋の若者もなすすべなく道路に散乱したリンゴを懸命に拾い集めていました。私に腐ったピーマンを売りつけた若造が・・・・。

もう1人、近所に住む老婦人をご紹介します。

彼女は私の友人と同じアパートの一室に1人で暮らしていました。ずっと独身でしたが、西欧の高齢者に多いのですが、足がひどく腫れて歩くことが困難になっていました。もうかなり高齢でしたので、友人は毎朝彼女の部屋のカーテンが開けられるかどうかで安否確認をしていました。

彼女の家には若者からお年寄りまでたくさんの人が出入りをしていました。殆どがボランティアで、外出に付き添う人、本を読む人、話し相手、おつかいをする人、その他、短時間で一つのことだけやって帰るボランティアが何人も出入りしていました。

私の友人は夕方自分がおつかいに行くときに、声をかけて頼まれたものを買ってきていましたが、ある日頼まれた買い物をして持って行きましたが、「私が頼んだものはこれではなくて、別のものだから取り替えてきてほしい。」と言われたそうです。

又、おしゃべりをしに訪ねた時に、お茶がほしいと言われたので、入れて渡すと「私のお茶のカップはこれでない。」と言われて正しいカップに入れなおしたというエピソードを話してくれました。

このようにきちんと自分のやり方を伝えてもらえると気持ちがいいと、友人は言っていました。

私が泣かされたパリで、「最後まで堂々と自分らしく生きること」が普通になっていることと、それを尊重して少しの時間でも進んで自分のできることを提供し、支える人達がたくさんいることを知り、パリの人も捨てたものではないと見直しました。

フランス語でVolontaireは、自ら進んでするという形容詞で、志願兵の意味もあることは周知のことですが、Volontiersは「喜んで」又は「快く」の意味の副詞です。

日本でも、特に近年はボランティア活動が活発に行われてたくさんの方達が参加しています。私もボランティアをさせていただいていますが「ありがとう」と言われる時は「やっててよかった」と思える瞬間ですが、「そうじゃなくてこうして欲しい」「違う」と言われたときに、自分がどんな姿勢で活動をしているかが問われます。

ボランティア活動だけでなく、仕事でも、日常生活の中でも、どこかで「やってあげている」という気持ちを持っていないか、また「やってもらっている」という気持ちを持たせていないかを、常に自分自身で振り返らなければならないと感じます。

2011年8月23日火曜日

日本高齢者虐待防止センター  ニューズレター No17

JCPEA(日本高齢者虐待防止センター)ニューズレター 2011年8月号

高齢者虐待予防における被害者学からの学び

埼玉県立大学 小川孔美

2011年7月30日土曜日、第8回日本高齢者虐待防止学会が茨城県水戸市で開催された。
大会テーマは「地域発、高齢者虐待防止」。

大会長基調報告として茨城大学教授瀧澤利行先生から「地域における高齢者虐待防止の研修体制―茨城の試み」、教育講演として「市町村における高齢者虐待防止体制を強化するための評価のあり方」について黒田研二先生(関西大学人間健康学部教授)、水上然先生(神戸学院大学講師)、津村智恵子先生(甲南女子大学看護リハビリテーション学部教授)から、またシンポジウムでは副田あけみ先生(関東学院大学文学部教授・当センター理事)、結城康博先生(淑徳大学総合福祉学部准教授)、大山典宏様(埼玉県福祉部社会福祉課)により「社会的貧困の状況と虐待防止のあり方」が活発に議論された。

また、被害者学という高齢者虐待防止とは異なる研究分野から常磐大学大学院被害者学研究科の長井進先生による特別講演「被害者学からみた高齢者虐待」が行われた。紙幅の関係もあるため、多くに触れることはできないが、本稿ではこの講演について以下に紹介したい。

 ラテン語のvictimaから派生したvictim(被害者)の原義は、「神に捧げる生け贄」であり、英語としては15世紀末に登場した。「他者から負傷、拷問または殺害の被害を受けた人」という意味でのvictimという語は1650年代に初めて記録されている。被害者学(victimology)とは「被害者の研究(Fattah, 2005)」、すなわち「犯罪と、犯罪および被害者化への反応を含む、人権侵害に起因する被害者と被害者化に関する科学的研究(Kirchhoff, 1994)」である。

 刑法および刑法と密接な関係を有する犯罪学の主たる関心は犯罪および犯罪者にあり、被害者にはなかった。犯罪学者のハンス・フォン・ヘンティッヒ(Von Hentig, H.)(1948)の「犯罪のデュエット構造duet frame of crime」なる考えが被害者学の出発点となった。

 エレンベルガー(Ellenberger, E.)(1954)は『犯罪者と被害者の間の心理学的関連』を著し、両者間の相互的影響と役割逆転を含む概念の重要性を強調した。メンデルソーン(Mendelsohn, B.)(1956)は研究誌を創刊し、独立した学問としての被害者学の基礎研究を行った。また、長期的展望を見据え、被害防止が被害者学の主要な目標であることを強調した。その後、被害者学に関する国際会議等が開催され、多くの研究誌が発行されてきた。今日、被害者学に関する国際研究施設がオランダや日本に設立され、研究や研修等に貢献している。フライ(Fry, M.)が1950年代に新聞紙上で犯罪被害者の直面する過酷な現実を訴えたのを契機に、1964年以降、国家による犯罪被害補償制度が徐々に創設された(日本では、1980年に犯罪被害者等給付金支給法が制定された)。

1970年代における女性解放運動の影響で女性の犯罪被害者の窮状が明らかにされ、犯罪被害者支援という新たな関心の的が実を結び始めた。1980年代に、被害者学は被害者化の原因論に関する学術研究から、被害者化への対策論(人道主義に基づく制度改革運動)へと転換して行った。その点に関して、1979年に創設された世界被害者学会(World Society of Victimology)(UNとEUに諮問資格を有する)の功績は大きい。1985年の国連犯罪防止会議にて「国連被害者人権宣言」が採択されたのを機に、数多くの国で被害者の基本的権利を認めるための法制化が進んで行った。1990年、日本被害者学会が創設された。もはや被害者にもたらされる深刻な影響を考慮に入れずに、犯罪を考えることはできない。合理的な刑事政策には犯罪被害者に関する知識が不可欠である。

 ファタ(Fattah, 2005)によれば、被害者学は理論被害者学、応用被害者学、臨床被害者学に分類される。一方、ウェマーズ(Wemmers, 2009)によれば、刑事被害者学、一般被害者学、人権被害者学に分類される。

 被害者学における今日の日本の問題として宮澤(2004)は、①犯罪原因としての被害者というとらえ方から第二次被害者化防止対策、第三次被害者化防止対策へと大きく転換しており、②被害者補償、心理的支援、被害者の権利・法的地位の確立を含む犯罪被害者等への支援活動の充実化が進んでいるが、③個人レベルの紛争解決の限度をはるかに超えたテロ、権力者の犯罪、国際経済犯罪等の新たな犯罪現象に対抗するに十分な法制度や対策が整備されていない、としている。

 「犯罪被害者等基本法」は2004年12月に成立し、2005年4月1日に施行された。国・地方公共団体が講ずべき多様な基本的施策を犯罪被害者等の視点に立って実現することによって、その権利や利益の保護が図られる。内閣府(犯罪被害者等施策推進室)は犯罪被害者白書を発行するのみならず、精力的に多様な施策を推進してきた。現状として、地方公共団体による認識や取り組みを改善する余地がある。

被害者となった心的外傷体験の中核は「無力化」と「離断」である。人生の初期から、発達の段階においてケアを与えてくれる存在と培ってきた「基本的信頼」を土台とした安心感、個人と社会とが結びついているという結合感覚、信頼感が破壊され、社会全体に対する不信をもたらす。
被虐待者にも同じことが言えよう。

犯罪被害と同様、虐待、被虐待も、いつ誰の身に起こっても全く不思議ではない誰もしたくない経験である。他人ごととは考えず自分の身に起こったら、自分の家族・友人の身に起こったらということを考え、傷ついた人たちの心の痛みを理解しようとする気持ちを大切にしなければならない。

暴力のサイクル、危険な兆候とは何か、被害者対応のヒント、DV被害からの回復過程など、高齢者虐待予防において参考となる知見が多く大変勉強となった。

御自身の体験をもふまえながら、高齢者虐待防止法は病院にはあてはまらないことに言及し、「無力で客観的な認識が無い認知症高齢者をも本当の意味で支える法の確立を」と熱く語られた。「法律はつくられても、人の心はなかなか変われない」と指摘する長井先生の言葉とともに胸に残った。


参考文献 
  1. Fattah, E. (2005). Victimology (pp.1724-1728). In Wright, R.A. & Miller, J.M.  Encyclopedia of Criminology. Volume 3. New York: Routrigde.
  2. 宮澤浩一(2004). 被害者学 氏原寛・亀口憲治・成田喜弘・東山紘久・山中康裕(共編)心理臨床大事典[改訂版] 培風館pp.1216-1219
  3. 諸澤英道(1998).新版被害者学入門 成文堂
  4. 長井進(2004).犯罪被害者の心理と支援 ナカニシヤ出版 
  5. 長井進(2011).被害者学からみた高齢者虐待「第8回日本高齢者虐待防止学会(JAPEA)茨城大会 抄録集」pp.22-23.
  6. Wemmers, J.A. (2009). A short History of Victimology. In Hagemann, O., Schafer, P. & Schmidt, S. (Eds.) Victimology, Victim Assistance and Criminal Justice.  Department of Social Work and Cultural Sciences, Niederrhein University of Applied Sciences.
  7. Office for Victims of Crime (2008). In their own words: Domestic abuse in later life. U.S. Department of Justice.

※御紹介

今年2011年6月17日には第6回 World Elder Abuse Awareness Day (日本では「世界で高齢者虐待防止を考える日(WEAAD)」と呼ばれる)国際会議がロンドンで行われた。

そのなかで、高齢者虐待をもっと多くの人に考えていただくために、ミュージシャンであるJeff Beam 氏が歌を披露している。題は“Can’t You Feel the Curve of the Earth?
とても素敵な曲なので、皆様にもご紹介したい。
わが国でもこんなアピールもあるとよい。