日本高齢者虐待防止センター電話相談

2008年10月27日月曜日

日本高齢者虐待防止センター ニューズレターNo.2

●みなさま、お元気ですか?!

ニューズレターNo1を発行してから2か月と10日間が過ぎました。No1への反響は特にありませんでしたが、めげずにNo2をお送りします!

No3は12月末にお送りする予定です(副田)。


☆原稿を募集中です!!なんでもOKです。

みなさまからの一言二言をお待ちしています。このMLに直接出していただいてもけっこうですし、今年度編集担当の副田のアドレスまでお送りいただいてもかまいません(asoeda@jcom.home.ne.jp)お待ちしています。


●No2のコンテンツは以下のとおりです(ネット情報はちょっと長いです)。

○1「高齢者虐待事例検討会を通じて思うこと」(サンメール尚和 山極愛郎)

●2 <「社会的退院」の高齢低所得者にどう向き合う>(ネット情報)

○●○3 「電話相談の現場から」(防止センター電話相談員 山浦成子)

○●○●4 「高齢者福祉の制度・政策は誰のため?何のため?」(関東学院 萩原清子)

○●○●○ 5<H19年度 法にもとづく虐待調査関連情報>(ネット情報)

○●○●○●6<高齢者虐待関連厚生労働省情報>(ネット情報)

○編集担当から一言

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○1 「高齢者虐待事例検討会を通じて思うこと」


サンメール尚和 在宅サービス室

担当室長 山極 愛郎


老人福祉分野の現場に勤務して早20年が過ぎようとしている。この間、私たちを取り巻く環境は大きく変化した。措置時代を知る者には隔世の感があると言えよう。

とはいえ、私たちの支援する対象は昔も今も変わらず高齢者そのものである。介護保険制度が創設されるにいたりケアマネジメントなるソーシャルワークの援助技法が世の中に紹介され、法制度の狭間に生ずる矛盾や諸問題への万能薬かのように喧伝されてきたが、問題の解決はそう容易ではない。

このことは、虐待に限らず、およそ困難事例と言われる多くの事例に遭遇する際に必ずといってよいほど痛感させられることである。それは、高齢者の事例が人の来し方行く末に係る問題を孕んでいるからである。つまり、高齢者が歴史ある存在である以上、虐待の問題にせよ生活困窮の問題にせよ問題となる状況は横断的に把握されつつも、問題の所在は人生史に遡るところにこそあり、近視眼的には捉えられない特質を有しているからであろう。

既述のとおりケアマネジメントが介護保険制度の中核を担う援助技法として政策的に位置づけられるにいたり、ケアマネジャーはサービスや制度に精通し、小気味よくこれを使いこなしてこそなんぼといった世界で日々仕事をこなしている。が、果たしてこれで良いものだろうか。

私が知る限り、高齢者虐待事例の行く末は、多く家族の分断や分離といった道を辿ることが少なくない。そして多くの事例は、虐待に至った経緯がモザイク様にしか把握できておらず、実体としてはよく分からない状況にあり、検討も志半ばで潰えるかのような様相を呈している。

そのようなわけで、近頃私は亡き恩師の先生が常日頃仰られていた「人間支援者として」という言葉を今一度かみしめている。


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○●○3 「電話相談の現場から」


電話相談員 山浦成子

私が高齢者虐待の電話相談の窓口に座ったのは,平成8年のことでした。

それから12年。その間介護保険が始まり,高齢者虐待防止法も施行されましたが,高齢者の状況は変わったのでしょうか。

福祉サービスも増え,高齢者虐待が世の中に認知されるようになっても受話器の向こうから聞こえてくるのは,肉親の愛憎とどうにもならない心の辛さです。

虐待に至るにはそれぞれの家庭にそれぞれの歴史があってのこと。電話一本で解決できるわけはありません。私たちは直接関係機関に出向いて行って,調整したり,説明したりできるわけではありません。電話相談では相談者の心の内を聞き,辛さを受け止め,今何が出来るかを共に考えることしか出来ません。相談者自身が悩みを言語化することで,こころの整理をつけ,解決の道を探るためのヒントを見つけてもらうことができるなら,それが電話相談の役割と言えるでしょう。

虐待のこんがらがった糸をほぐすためには,一歩踏み込む「力」が必要なのです。高齢者福祉課や地域包括支援センターへの相談,家庭裁判所への訴え,弁護士への依頼など自分ひとりや家族内での解決はあきらめ,人の力を借りることが大切です。家を開き風を入れる勇気がいるのです。

電話の前では,心を開き,素直になって考えることが出来ように,私たちもしっかりと話を聞き,一緒に考えていけたら良いなと思います。

今日も,電話が鳴ります。「虐待してしまいそう」そんな叫びが聞こえてきて,「良く電話してきてくれましたね。」と言いたくなりました。


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○●○●4 「高齢者福祉の制度・政策は誰のため?何のため?」


萩原清子(関東学院 防止センター)


現在、後期高齢者医療制度をめぐって混乱が起きている。また、2006年4月の老人福祉法改正により、有料老人ホームの定義が拡大され、一般の人には分かりにくくなった。このような法改正により、制度の中身は複雑・多様化し、利用者の混乱・不利益を招いている現状に対して、厚生労働省の担当者は「これから入居を検討している高齢者には『様々な有料老人ホームがあることを認識して、納得いくまで検討を重ねてほしい』と訴える」(2008.10.5 日本経済新聞)。この認識は高齢者に対する「自己責任」の押し付けである。こんな複雑で多様化した有料老人ホームの「改正」を誰が望んだのだろうか。

そもそも、制度・政策は、対象となる人たちが使った場合、「どういう思いをするか」を具体的にイメージしてつくっていくことが重要である。本来、悲しい思いをしている高齢者をなくすための「老人福祉法」ではなかったのか?現在、情報弱者といわれている高齢者のひとり暮らし・夫婦世帯は高齢者の半数を上回っている。福祉を高めるための制度・政策が使う人にとって不利益となるような「改正」に対して「自己責任」を押し付けることは筋違いではないか。かつて、消費者の立場に立った商品テストの方向性を示したと言われる『暮らしの手帳』編集長・花森安治氏は「商品テストは、消費者のためにあるのではい」「なにもかしこい消費者でなくても、店にならんでいるものが、ちゃんとした品質と性能をもっているものばかりなら、あとは、じぶんのふところや趣味と相談して、どれを買うかを決めればよいのである。そんなふうに考え、努力してくれるようになるために、そのために〈商品テスト〉はあるのである」(酒井寛『花森安治の仕事』朝日新聞社)と。

まさに、制度・政策は「かしこい利用者」でなくても不利益を蒙らないものでなければならない。しかし今日では、いかに公的福祉費用のカットができるかという方向に進んでいる。流行の「自己責任」論を容認することは、高齢者の虐待防止を研究・実践するわれわれ自らが「社会的虐待」の「加害者」となっていることを自覚しなければならい。


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○編集担当から

★先日、あるところでケアマネジャーさんが高齢者虐待についてこう話されていました。「虐待事例だと思っても、うんと重いのでなければ、地域包括や行政に連絡しない。地域包括が調査に来たりすると自分が言ったのがわかるし、なによりも、家族は自分を信頼してくれて、なんでも話してくれているのに、言えば裏切ってしまうことになる。」

だから、もうちょっと自分たち(の事業所)でなんとかみていこうと思う、ということでした。

みなさんは、これについてどういうご感想、ご意見をお持ちになりますか?