日本高齢者虐待防止センター電話相談

2011年10月9日日曜日

日本高齢者虐待防止センター  ニューズレター No18

JCPEA(日本高齢者虐待防止センター)ニューズレター 2011年10月号

パリの高齢者から学んだこと

日本高齢者虐待防止センタースタッフ 松丸 真知子

約20年ほど前にパリに6年住んでいた時のことですが、今ではパリで日本人と見るとこちらがフランス語で話しても英語で答えてくる程、殆どの場所で英語が通じますが、当時は本当にフランス語しか通じませんでした。

余談ですが、よく、フランス人は英語を知っていても自国の言葉にプライドを持っているので知らない顔をするのだ。と言われていましたが、私の経験からは本当に簡単な英語さえ分からない人が殆どでした。

私は夫の仕事の関係で住んでいたので、いわゆる高級住宅地と言われるパリの16区に住まわせてもらっていました。

私の印象はパリの人々、特に16区に住まうフランス人は、意地悪で嫌な人が殆どでした。スノッブでエレベーターで顔を合わせても知らん顔。ちょっとそこまで郵便を出しに行くにも男性はきちんとジャケットを着て帽子をかぶって行くのが普通でした。

私が朝、すっぴん、ジーンズで子供を学校へ送って、エレベーターを待っていると、どこかの家のお手伝いさんに「あなたは何階で働いているの?」とよく聞かれるくらい、常にきちんとした身なりをすることが必要でした。

パリのマルシェというと、野菜や果物を美しく積み上げ、肉屋も魚屋も商品をきれいにディスプレーしていることで有名です。パリに住んだ当初は言葉が分からなかったので、マルシェでの買い物は苦労しました。ある日ピーマンを買いに行った時、ピーマンのフランス語が分からないのでそこにあったピーマンを「これちょうだい」といった風につかんだら「さわるな!!」とえらく怒られました。

そして別のピーマンを袋に入れてくれたのでお金を払って家に帰ってみると、腐ったのを入れられていました。トマトを1キロ買えば必ず2,3個は使えないのが入っていることは普通で、しばしば「フランス人とはなんて意地悪なのか。」と暗い気持ちになりました。

このまま何年もパリに住んでそんなことにもなじんで、自分もそうなってしまったら、日本に帰った時は鼻つまみになっているとさえ思いました。

長くパリに住んでいる日本人の方に聞くと、そういうことは当たり前で、ぼやぼやしていないでしっかり見て「それはだめ。他のにして」と言わない方が悪いと言われました。

島国の日本と違って、ヨーロッパは地続きで、侵略の歴史だから自分のことは自分で守らなければならない文化が浸透しているのだとも言われました。全くその通りで、きちんと主張しなければ、どうでもよいように思われて、いいようにされてしまうということはあちこちで体験し、相手から嫌な顔をされることもありません。

パリの朝は早く、早朝から人々は働き始めます。ある朝、子供を学校へ送って行く途中、杖をついて歩くのもやっと、といった風情のやせて小さな老婦人が八百屋の前を通りかかるのを見かけました。すると、突然老婦人が杖を振り上げて怒鳴りだしたました。

八百屋の台車に乗せた果物の箱が通りすがりに老婦人をかすったようでした。老婦人は歩道に仁王立ちとなり、道行く人々が振り返るほどの大声で怒鳴り、台車に高く積み上げている果物の木箱を力いっぱい押し倒し、辺りはリンゴが散乱しました。

その勢いに、八百屋の若者もなすすべなく道路に散乱したリンゴを懸命に拾い集めていました。私に腐ったピーマンを売りつけた若造が・・・・。

もう1人、近所に住む老婦人をご紹介します。

彼女は私の友人と同じアパートの一室に1人で暮らしていました。ずっと独身でしたが、西欧の高齢者に多いのですが、足がひどく腫れて歩くことが困難になっていました。もうかなり高齢でしたので、友人は毎朝彼女の部屋のカーテンが開けられるかどうかで安否確認をしていました。

彼女の家には若者からお年寄りまでたくさんの人が出入りをしていました。殆どがボランティアで、外出に付き添う人、本を読む人、話し相手、おつかいをする人、その他、短時間で一つのことだけやって帰るボランティアが何人も出入りしていました。

私の友人は夕方自分がおつかいに行くときに、声をかけて頼まれたものを買ってきていましたが、ある日頼まれた買い物をして持って行きましたが、「私が頼んだものはこれではなくて、別のものだから取り替えてきてほしい。」と言われたそうです。

又、おしゃべりをしに訪ねた時に、お茶がほしいと言われたので、入れて渡すと「私のお茶のカップはこれでない。」と言われて正しいカップに入れなおしたというエピソードを話してくれました。

このようにきちんと自分のやり方を伝えてもらえると気持ちがいいと、友人は言っていました。

私が泣かされたパリで、「最後まで堂々と自分らしく生きること」が普通になっていることと、それを尊重して少しの時間でも進んで自分のできることを提供し、支える人達がたくさんいることを知り、パリの人も捨てたものではないと見直しました。

フランス語でVolontaireは、自ら進んでするという形容詞で、志願兵の意味もあることは周知のことですが、Volontiersは「喜んで」又は「快く」の意味の副詞です。

日本でも、特に近年はボランティア活動が活発に行われてたくさんの方達が参加しています。私もボランティアをさせていただいていますが「ありがとう」と言われる時は「やっててよかった」と思える瞬間ですが、「そうじゃなくてこうして欲しい」「違う」と言われたときに、自分がどんな姿勢で活動をしているかが問われます。

ボランティア活動だけでなく、仕事でも、日常生活の中でも、どこかで「やってあげている」という気持ちを持っていないか、また「やってもらっている」という気持ちを持たせていないかを、常に自分自身で振り返らなければならないと感じます。